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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第一


 自分なりに現代語訳してみるか、なんて。元本は中国古典新書「山田 琢」著 『晏子春秋』から、注釈がわかり易くて、読みやすい。


 「荘公勇力に誇って、行儀を顧みず、晏子諫む」


【荘公が勇力を奮って義理を顧みないことを諫め、真の勇力はいかなるものであるかを説く】


 荘公は勇力を頼みに誇って、品行と動議を顧みず、そのためか勇力の士は国中勝手気ままに振るまっている。要職に有る者、身内の者も注意しない。また荘公の近臣集も過失を見ても諫めない。勝手気ままに振るまう勇力は、暴力と等しい。
 ゆえに晏嬰は、荘公に会う事にする。
荘公が言うには、
「昔から、勇力、強さを持って世に立つ者があるだろう、それらは必要だ。」
晏嬰はこれを聞いて答える、
「死を軽んじて礼を行う、これを勇と言う。暴力を誅して強を避けざる事を力と言う。真の勇気ある人が身を立てるには礼儀を第一とするものです。周の湯王、武王の二人は、兵力を用いて他国を合併したこともあったが、暴虐とも貧欲ともされないのは、その行いが仁義と道理にかなっていたからです。暴力を誅して力を避けず、罪過ある者は身辺から退ける事が大切で、その為には多人数も恐れないことが本当の勇気です。古来の正しい勇力をなす者は、礼儀を大切にいたしました。
 今、上(荘公)は仁義に対しての理もない、ただ暴力に等しい勇力を振るまう士を身近に置いて重んじていおられる。
 礼儀なく、暴力に等しい勇力もって国を治めることになり、諸侯と肩を並べようとすれば、国が危うく、道理に暗いただの男が、安心して家を保てないのと同じこと。道理に暗い男とは暴力に等しい勇力の者たちと同じです。
 昔、夏王朝の衰えた時には推移(すいし)・大戯(だいぎ)の二人の勇力の士がいました。殷王朝の衰えた時には費仲(ひちゅう)・悪来(あくらい)の二人の勇力の士がいました。足は千里を走り、手は野牛や虎を裂けました。こうした力任せに天下を侵害し、無実の者を脅したり殺したりしました。暴力に等しい勇力を尊崇して義理を顧みず、よって夏王朝は桀によって滅び、殷王朝は紂によって滅びました。共に自分の国を滅ぼした暴君です。


 今、上(荘公)は暴力に等しい勇力を奮って行儀を顧みず、勇力の士を用いています。彼らは威張り暴力を振るい、行いは淫らで、それが当然のようになっています。高官や親戚の者たちさえ、注意せず、善い行いを進める事もせず、暴力を辞めるようにも言いません。


 聖王の徳に反して、滅君の行いにしたがう。これで存続し、栄えた国を私(嬰)は聞いた事がありませんが!」


晏嬰 - Wikipedia
↑晏子について、詳しくは上を。
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