日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第六

「景公夜、新楽を聴いて朝せず、晏子諫む」


【景公を諫めて音楽について論じ、ひいて国政に及ぶ】


 晏子が参朝すると、社肩(とけい・臣下の名)が虚ろな目で心落ち着かず、景公が朝議に現れるのを待っていた。
 晏子曰く、
「君は何ゆえに、参朝なさらないのか。」
 答えて社肩曰く、
「君は終夜起きている為に、参朝できません。」
晏子、
「何ゆえぞ。」
梁丘拠(りょうきゅうきょ・臣下の名)答えて曰く、
「音楽師が楽人で歌の上手な者を集めて君に勧め、新しい音楽を奏で、伝統の古楽を乱しています。しかしながら、君は新しい音楽に夢中です。」


 これを聞いて晏子、朝議より退き、宗祝(官名)に命じて、礼に基づいて古楽をないがしろにして新しい音楽を奏でる者たちを捕えた。
景公、怒って曰く、
「何ゆえに楽人たちを捕えたのか。」
晏子曰く、
「楽人の歌う新曲が、君の心を取り乱すからです。」
景公曰く、
「外交や国政について、また百官のことなどについては晏子の教示を受けるが、飲酒や音楽については口出ししないで欲しい。音楽は古楽のみに限らない。」
晏子は答えて曰く、
「伝統ある古楽が滅びると、国の文化の表象である文物制度も乱れ、国も乱れます。音楽が乱れれば、礼が乱れ、したがって政治も乱れ、国が乱れ滅びる事になります。
国衰えれば、臣は遠ざけられ、君の逆政が行われ、殷王朝を滅亡に導いた紂(君主の名)は新しい舞曲の『北里』を作らせ、周王朝の二人の天子、西周を滅亡させた幽王と農民の反乱で追放された厲王も礼を軽んじて音楽を好み、周を衰微させました。
 君は、古楽を変える事を重大な事と、思われませんか。」
景公曰く、
「国家の政治を深く考えず、不注意にものを言った。許せ」

 ここでは音楽と政治の関連について論じているが、古来、中国伝統思想では礼節と音楽とを社会教育上特に重大視する。礼は世の中の秩序を定め、楽は人の心を和らげる機能をもつものとされる。礼楽が崩れることは、国の亡びる元と考えられている。
 このことはのちの孔子の論語に記述される。晏子の生きた時代、孔子は若くして同じ時代を生きている。ただし、晏子は孔子の礼楽を重んじるのちに儒教と呼ばれるものを、実からかけ離れていると認めなかった。
この意見、正しいかな、私の史観。