菅沼新八郎定盈
凄い人だよな。この立ち向かう強さは何処から来たんだろう。菅沼の一族は、信玄を恐れ、皆、武田に寝返ったのに、菅沼新八郎定盈は、ずっと家康と共に戦った。
三方ヶ原の戦いで、武田軍に家康軍が惨敗してもなお、東三河の山間の、孤立無援の丘城、『野田城』に籠って、2万5千人ともいわれる武田軍と、一か月に及ぶ籠城戦を戦った武将。そしてこの戦い以前にも,武田軍を相手に寡兵ながら緒戦でも勝っている、徳川方の唯一の城主。
私も、気になって豊川沿いの野田の城跡を訪ねてみた。豊川流域の平地から続く岡に築かれた城。城を護る城兵は400人、圧倒的な武田軍に包囲されても、野田城は落ちなかった。よくよく城兵は戦ったもので、その気迫のすさまじさを感じる。
ここが野田、信玄の西征は、この地で止まる。鳥居半四郎に狙撃されたとも、病気とも言われる。この、野田城の攻防戦が,後の歴史の大きな分岐点となっているのかも知れない。
武田の金堀衆に、城の井戸水を抜かれて降伏する事になるが、信玄は新八郎を殺さなかった。この籠城戦を信玄が褒め、家康が褒め、信長が褒める。
宮城谷さんの小説を読んで知りました。物語には感動がありますね。もう、何度も読み返しています。
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