「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第十三
「景公、封人の祝の不遜を怒る、晏子諫む」
(封人、ここでは邑人。祝は長寿をいわう。)
【景公を諫め、民心を得るべきことを述ぶ】
景公、麦丘(地名)に遊び、その邑人に聞いて曰く、
「いくつになるかな?」
邑人、答えて曰く、
「この邑の住人で八十五歳になります。」
景公曰く、
「めでたい、めでたい。なら私も褒めてくれることはないか?」
邑人曰く、
「君が胡公のようでありまた、国と民を安んじられますように。」
(胡公は斉の先君、長寿であった)
景公曰く、
「いいね、いいね、もっと祝ってくれ。」
邑人曰く、
「君の世継ぎも、みな長生きでわしの年まで生きてください。」
景公曰く、
「いいね、いいね、もっとないかな」
邑人曰く、
「君候が人民から罪を告発、罪を受けないようにいたしましょう。」
景公曰く、
「そりゃそうだ、君主が人民からだな、罪を受けることなんでありえないことだ!!」
晏子、諫めて曰く、
「君の誤りです。疎遠な者に罪があれば、親密な関係の者がこれをとりなす。賤しい者の罪は、貴い者がこれをとりなす。君侯の罪は、とりなす者がいない。敢えて言えば、桀紂は、君が国を滅ぼしたか、民があい滅ぼしたかお考えください。
景公、曰く、
「私は道理にくらかった。」
老人に麦丘を下げ渡し、邑とした。
※桀は夏王朝の天子、紂は殷王朝の天子、国を滅ぼした暴君とされている。
桀王は殷の湯王に亡ぼされ、紂王は周の武王に亡ぼされるが、その根本原因は暴虐であるがゆえに、民心が離反したことにあると晏子は述べている。
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