日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

つぶやき、独り言❓【自分大好き人間】の好きな生き方、

「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第二十三

「景公、人礼を以て走狗を葬らんと欲す、晏子諫む」


【景公が犬を厚く葬らんとしたことを諫めて、生きた人を憂うべきことを説く】


 景公の猟に使う愛犬が死んだ。景公は犬を棺に納め、人に対する礼をもってするように葬儀をしようとした。


 晏子,このことを聞いて景公を諫めようとすると、
景公、曰く、
「とるに足らぬ細事ではないか。どうして皆は笑うのだ?」
晏子曰く、
「君、それはやり過ぎだからです。税を重くしては国民には見返りなしで、財貨を捨てるような事をすれば、近臣は笑います。貧しい民の憂いを無視し、近臣の笑うような事を尊ぶとは、国民が国事に絶望するしか有りません。
 孤児や老人が凍えて死ぬような事になっていても、犬の葬儀は人並みに執り行う。老いて妻無き人、老いて夫無き人など、やもめは救済出来なくても、犬は棺に納められる。
こんなにもよこしまな行いを国民が知れば必ず、わが君を怨むことになるでしょう。諸侯がこうした事実を知れば、必ずわが国を軽んじることになります。
 怨みは国民の心に集まり溜って、信用できるのは国外諸侯に移ってしまいます。それでも犬の葬儀は些細な事ですか?君はこのことを、真剣に考えてください!」


景公曰く、
「解った。」
景公は料理人を呼んで犬を調理させ、臣下を集めて皆で食べた。



 犬=狗肉を食べたが、いいね(笑) この時代もずっと後の時代も犬は普通に食用。人間だって、春秋の覇者の桓公は赤ん坊の羹(スープ)を食べたいと言い、専属調理人は自分の子をスープにして提供している。
 楽羊(楽毅の先祖)は中山との戦いで死んだ息子の羹を、敵側から送られて平然として飲んだという逸話。
 普通に人の肉を食べる話が歴史の中に出てくる。もともと邑は城塞都市であり、城の攻防戦で兵糧攻めに在って、食料が尽きれば、子供を交換して食べた。親さえいれば子供は出来るって。
 孫氏の兵法は基本速さを重んじ、兵站は考えない。攻めた、攻め取った土地で調達、略奪が当たり前であり、食人習慣もあったはず、でないと何万もの兵員を養えない。
 
そうしたことも踏まえて、春秋戦国時代をみないと、後世でも同じようなに歴史は繰り返されますが・・