日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第二十四

「景公、勇士三人を養ふ、君臣の義なし、晏子諫む」


【晏子が勇力あって礼儀なき三勇者をしりぞけたことを記す】


公孫接、田開彊、古冶子(こうそんしょう、でんかいきょう、こやし)の三人の勇者は景公の寵愛を受けている。腕力は虎を素手で捕らえるほど。


 晏子、三人の前を小走りに通り過ぎたが、三人は立ち上がらなかった。人の前は小走りに通る事が礼儀であり、これに対して三人が立たなかったのは非礼である。


 晏子、景公にまみえて曰く、
「臣は聞いています。明君が勇者を召し抱えるのは、上には君臣の義があって、下には長幼の順序が正しいことが道理です。勇力は内に在っては暴力を禁じ、外に在っては敵に備えるものです。君候は勇者の手柄を以てして、国民はその勇力に心服します。だから、その位を高くして、その俸禄も多くしているのでしょう。
 いま君が召し抱えている勇力の士は、目上の者に対して君臣の義なく、下の者には幼長の倫理をもっていたわる事がありません。
 また内においては暴力を禁じる事をせず、外の敵に対しては威嚇することすら致しません。これでは国を危うくするだけで、この斉の国から去って欲しいものです。」


景公曰く、
「三人の者は勇者であるから、手で打ち取ろうとしても無理で、刃物で刺そうとしても、あたらない。」
晏子、曰く、
「この人達は力自慢の勇者だから、長幼の礼が無くても許される?」
晏子は景公に頼んで、二個の桃を取り寄せ、三人に贈った。
晏子曰く、
「三人がそれぞれに自分の手柄を述べたうえで、桃を食べよ。」


公孫接、天を仰いで嘆いて曰く、
「晏子は智謀の人だな。桃の数がわれらの人数に対して一個少ないので、手柄自慢をして桃を食べなければならないか。桃が食べられなければ、勇者とは言われなくなる。俺は大鹿を捕らえ、子持ちの虎を捕らえた事がある。だから俺は桃を食べる資格があるぞ。」
公孫接は桃を手に取り立ち上がった。


田開彊曰く、
「我は兵を用いて、三軍を退ける事が幾度かあった。これは私の手柄で、桃を食べる資格があるはずだ。」
田開彊も桃を持って、立ち上がった。


古冶子曰く、
「俺は君に従って、黄河を渡るとき、大スッポンが馬車の添え馬を咥えたまま、中流域の砥石柱山の辺に潜ってしまった。これでは泳ぐことが難しかったので、川底を歩き、流れに逆らう事百歩、流れに乗って九里、大スッポンを捕らえて殺した。左手に添え馬を抱え、右に大スッポンを引っ提げて鶴のように踊って川面より出た。
 渡し守たちは俺を見て河の神だ、と言いよく見れば大スッポンの首に驚いていた。これは他の者には出来ないことだ、桃を食う資格がある。
古冶子と田開彊は桃を返せ!」


古冶子と田開彊は刀を抜いて立ち上がり曰く、
「我が勇あなたより劣り、功はあなたに及ばない。それなのに桃を手に取ってしまった。桃を譲らなければ、賤しいと言われ、手にしたことを驕りといわれる。死んで申し開きをしなければ勇なき奴と言われるのだ。」
二人は桃を返して、自ら首を刎ねて死んだ。


古冶子曰く、
「二人が死んで、俺だけ生きているのは不仁だ。二人に桃を返せと言って、自分だけが勇者の名声を誇るのは不義だ。自分が勇者としての誇りに反して、死を恐れるのは勇気の無いことだ。しかし、二人の功績は同等なので、ひとつの桃を分け合って食べれば良かったのに。
俺は一つの桃でよかった、そうしたら二人を死なせずに済んだ。よって我も死す。」


景公、死者を衣で覆わせ、士の礼をもって葬った。


 晏子は礼無き者、力を誇って節操の無い者を嫌う。『晏子は智謀』の人也、これも晏子の一面である。国の弊害となり、民を脅かすものは知恵を使って排除した。