日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

つぶやき、独り言❓【自分大好き人間】の好きな生き方、

「晏子春秋」 問上第三 凡そ三十章 第一

「荘公問ふ、当世を威して天下を服する時かと、晏子対ふるに行なることを以てす、」


【天下を服するは、時勢にあらずして徳行に拠ることを説く】


荘公、晏子に問うて曰く、
「勇力によって天下を制するのは、世の成り行きを思えば今か?」
晏子、答えて曰く、
「君の徳行が足りません。」
荘公、曰く
「何を言うんじゃ!!!」
晏子、答えて曰く、
「国内の人民を愛する君主は、国外の不善な者を心服させられます、人民の必死の努力を大切にする君主は、暴虐なる他国の邪悪を阻止する事ができます。また、裁判を公平に行えば、他国に対して威厳ができます。仁義を大切にして、安寧な世の中を求め、人民を安心させる者は、よく政治を行えるとして天下に知られます。
 国民を愛せない者は、外国の不善を正すことは出来ません。国民の必死の思いを無駄にしては、暴国の邪逆を止めることなどできません。諫言を聴き入れずに、賢者を侮辱するようでは諸侯に対して威厳はありません。
 仁義に背いて、己の名声と財貨を貪る者には、天下を制して覇者になるなど、出来るはずがありません。
 正しき行いが天下への道なのです。」


荘公、晏子の諫言を聴き入れなかった。
晏子は首都を離れ、農耕に従事してしまう。


 荘公は軍事力を頼りにして、民衆の死を軽んじ、戦争ばかりで兵を休ませる事もなく、国は疲れ、国民は害され国は乱れるばかりになってしまった。


 一年後、荘公は
(さいちょ、当時の斉の宰相)に殺される事になった。


君子、晏子を評して曰く、
「己の誠を尽くして事を成し、行いに打算なく、誠に清廉人である。」



 荘公は歴代の君主の中でも粗暴を極め、武力こそが全てと考える有様だった。崔杼が荘公を君主の座に就けるも、崔杼によって殺されることになる。
 晏嬰はこの事実を知らされると急ぎ荘公のもとに駆け付け、荘公の亡骸を膝に抱いて、晏嬰は哭して、哀しみをあらわす。崔杼を恐れて誰も荘公の亡骸をいたわらなかったし、誰もしない事だった。君主に対しての臣下の礼をきちんと果たす意思表示であり、崔杼への批判と言えたんだろうね。
 この事件は春秋左氏伝に記載があったかな。あるある、司馬遷は晏子が好きだったよね。解る気がする。粗暴な荘公を恐れ屈する事なく、堂々と自分の意見を述べて諫止する。劉徹と司馬遷。
 よくよく、荘公は晏嬰を殺さなかった、これも不思議、荘公に対して遠慮なく意見を述べたのは晏嬰だけだったろうに。荘公を導き、国と民を安んじようとした晏嬰のひた向きさが伝わってくるよね、地位を捨て、ただ荒れ地を耕す晏子、晏子を尊敬し、晏子に従う人たち。