日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第九

「景公寵妾を愛し、その欲する所に隋ふ、晏子諫む、」  
                  寵妾は本文では「へいしょう」となってます。


【景公を諫めて、心の悦楽を制し善政に努むべきことを説く】


 擢王の子の羨は、十六頭点ての馬車をもってして、景公に仕えたいとやってきた。嬰子が気に入り、景公は晏子が病気の隙を狙って、寵妾嬰子の言うままに、重駕と言う十六頭立ての馬車の操縦法観て楽しんだ。そして嬰子の言うままに、操縦者に暑禄を与えると約束してしまう。
晏子、病床の床を払って立ち上がり、景公に会いに行く。


景公、大いに喜んで曰く、
「どうだ、十六頭立ての馬車は、見事なものだ。これを公用にするか。」
晏子、答えて曰く、
「馬車の操縦や管理は、私の職分ではあるません。」
景公曰く、
「私の楽しみが増えた、馬車の操縦者を前払いの高禄で召し抱えたいものだ。」
晏子、答えて曰く、
「以前、衛の国の士、名は東野と言う者の馬車の操縦を公は認められましたが、嬰子が気に入らないという理由で、召し抱えませんでした。今、擢王の子羨の馬車操縦を、公が気に入いり、私が認めなくても、公は嬰子の言うがままに召し抱える事とするでしょう。これは、即ち夫人に君が制御されているのと同じです。
 夫人を、人を、うまく扱えずに馬の扱い、操縦を楽しむなんてもってのほかです。
 昔、先君の桓公の時代には、いまより国が小さいといっても法は守られ、国は満ち足りて諸侯に覇者として認められていました。
 今の君、斉国には親交を深めようとする諸侯すらなく、毎年の凶作で餓死者が道路に並び、連なっています。
 君はこのことを憂い恥ずかしいとも思わず、ただ目先の享楽を求めています。先君の大きな偉業を学び、修めようともせずに、十六頭立ての馬車を操縦する技を誇ろうとする。なんたることじゃ!(大きな声をだしたかどうか、なんたることじゃ!って言っていないけど・・)


(強烈だな)すなわち、君は国民を顧みず、国を忘れる事もはなばなしい。かつ「詩経」にもあるように(私には全く不明・小雅、采叔編にあるそうだ)・・・四頭立ての馬車に添え馬が二頭、これが古来からの決まり事です。君子たるもの、古来よりの四頭立ての制度を守ること。八頭立てでも違反なのに、十六頭立てなんてもってのほか、まったくもって非礼だし、制度違反もとんでもない!
 それでも君が十六頭立てをお望みなら、国中から不満の声が上がるでしょう。狩猟には不便、遠くに出かけるには難しいし、普通の馬車の四倍の消耗費が必要で、経費も四倍かかります。これでは臣下を導く道ではないですョ。


 寵妾と十六頭立ての馬車の操縦を見ていて、国民の為にそぐわない政務ぶり、これは聖王の禁ずる所です。君がこれを改めなければ、諸侯は斉に見向きもしないでしょう。 



 君が厚徳善政をもって諸外国との外交にあたり、また偏ったことをしないこと。国民を我が子のようにいたわり、善を誉め、遠方の人にも手を差し伸べ、隣国と仲良くする。
みなしご、やもめも労わること。
 寵妾に聞いて臣下の俸禄を決めるなど、愛妾が政治に口を挟むと国民は不満を募らせ、国民に仇なすことに成ります。
 詩経にあるように、立派な男子は城を為し、智謀の多い女は城を傾けると、国の滅びになりかねない。今、君は広く賢良の士を求めて欲しいものです。


景公曰く、
「よくわかった!」
景公は頭を下げた。
擢王の子の羨を返し、寵妾の嬰子を遠ざけた。