闘病記 ㉙ クリスマスその2
病室からの景色は何とも静かで、病院も土曜日という事もあり、とても静か。新型コロナ禍の影響で患者への面会は禁止状態なので、それもいいか。誰か来てくれても、応対だ苦しいのが実情。
午後の病棟歩き250メートルで血中酸素の数値低下が見られなかったので、呼吸の補助に使用していた酸素を外した。これで、チューブが一つ減るし、移動が楽になる。右肺の状態が良くなってる証。
癌が無ければ、体の数値がほぼ健康体で、でも、何もしなければ余命はどれぐらいだったのかな。二か月間のインターバル歯あるけど、抗がん剤投与の時期、副作用がつらくてどうしようもない時もあった。インフルエンザやコロナ菌等を拾うことを避け、家を出られない、出ない日々。手術は手術で痛い、苦しいし、っリハビリのかなりの日数を必要とする。
つくずく思う時がある。とてつもなくひどい交通事故で意識不明のまま、病院へ。意識がなくなる、もうろうとする中、胸でのの苦しさと、吐き気に襲われ、顔が暖かい感じがして触ったら血か流れてた。意識はそこまで、でも、病院で目が覚めた。
山での極限状態(自身の)、もしくはそれに近い状態での判断と行動。
一人で登っていての解放骨折・・
まだまだ色々あったけど、やっぱり私は生かされている。だえず思う事、私が生きているのは多くの人? または天? 産まれてくるとき危なかったから、やっぱ生かされてるね。
生かされてる以上、何かの役に立たないと。
まだまだ、肺の力を高めないと。運動能力が上がらない。体重64,7㌔。
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