日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

つぶやき、独り言❓【自分大好き人間】の好きな生き方、

青雲はいずこに 誕生から ①

  二月、雪の降る寒い朝に生を受け、この世に一人の男の子が誕生した。彼の母親は、この妊娠を喜ばず、産むか否かを迷った挙句に、産むことに至ったのだが、早産で未熟児、
母の胎内から出てすぐに、自発呼吸をすることが出来ず、取り上げに手を貸した医師が注射を打つなり、ばんばん叩くなり、苦労してやっとの事で泣いた。そうして彼は生かされた。
 無事に育つかと心配された赤ん坊も、小さいながらも夏を越え、名前は「宏」とつけられた。
九月のまだ暖かい、いや夏の名残が大きく残る少し暑い日差しの残る午後、赤ん坊が一人で畳座敷の中央に座っている。この子は何も知らない。男の子。彼の生涯で、実父の顔を知らず、声を知らず、暖かさを知らず、父親を知らずに生きていかなければならない自分の境遇、そして彼の父方の親類も彼の生涯にかかわりを持つという事が無いことを。ただ、この座敷に一人で座っている彼の姿を、彼の実父の妹、彼の叔母は見ていた。およそ半世紀後に、彼の意識の中では、この叔母と初めて対面したときに、叔母には再会となるか、
「私が、あなたを最後にみたのは、座敷に一人で座っているあなたです。あなたの父親の話をしましょうか。」
私は、父親について何も知らず、自分で役所に行って取り寄せた戸籍によって、ほとんど名前しか知らなかったし、他はもう、知ろうとも思わなかった。叔母からは自分の父親が17年前に死んでいる事を知らされた。それ以外の父親についての話は、私から断ったし、この叔母が私を探して会いに来たのは遺産相続放棄の手続と私の実印が必要となったから。 「あなたはお母さんに逢った事がありますか。」
これも叔母の一言だった。


 今日を境に、九月のまだ暖かい、いや夏の名残が大きく残る少し暑い日差しの残る午後、赤ん坊は養子に貰われていく事になっている。父親が加東の家の長男なら、この赤ん坊も長男であり、この赤ん坊の父と母は正式に結婚をしているのだから、祝われての誕生でもよいはずなのに、写真の一枚もなく、まして父にも、母にも抱かれている写真など無く、ましてこの先も抱かれた記憶が無く、生きて行くことになるが。
 彼が物心ついたころには、父がいて、母がいて、まして家族が同じ姓を以て、一軒の家に住んでいることなどどうでもよかったし、それが普通の家庭とよばれ、その当たり前のようなことが、当たり前と理解するには幼な過ぎた。


続く・・・