日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第七

「景公燕(宴)して無功を賞し、有司(役人)罪す、晏子諫む」


【景公を諫めて、愛する所以とにくむ所以とを明らかにすべきことを説く】


 景公は宴会を催し、国内の者を賞して多大な恩賞を与えようとした。万鐘の者三、千金の者五として三たび令を発したが、会計官は功績の無い者に与える恩賞はあり得ないとして、景公の令に従わなかった。(一鐘は桝の単位、一鐘は約、42,7ℓで、万鐘は万倍、千鐘は千倍)
 景公は怒って会計官を免職してしまう。また三たび令を発したが、裁判官も従わなかった。景公はなぜ皆が従わないかと、より激怒する。


 晏子が景公をなだめに逢いに行くと、景公は憤って晏子に言う。景公曰く、
「私が聞き及ぶには、国主たるものは、愛でる者には便宜を図ってやり、嫌いな者は疎んずることができると、しかし今、私が人を愛でても利してやることも叶わず、嫌いな者を遠ざける事も出来ない。これでは国主としての立場がないではないか!」


晏子、答えて曰く、
「古来より、君正しければ臣は従い、これを順と言います。君に偏りがあってそれに従う臣を逆臣と言います。
今、君は、君にへつらい、讒言するものを賞し、役人がこれを実行すれば、君からして正道をはずれ、国の規範は乱れ、結果的に臣は職を失う事になります。
古代の聖王は人を愛する心を持って誉めるべき人に対して恩賞を与え、善を行うことを勧めました。また、悪行を憎む心で刑罰を設け、よって暴力や悪事は減りました。


 昔、夏、殷、周の三王朝の興起した始めには、国に益する者はこれを賞し、国に害を与える者を罰したように、解かり易い政治が行われていました。ゆえに賞を与えるならばその所以を明らかにして賢良の民を多くし、刑罰をも明らかにして罪を犯す者を減らす。これをもって天下は良く治まり、国民は安心して暮らしていけるのです。


 しかし、それが時の経過と共に、政を手軽にすることに満足して、厳しさが無くなり、己に従う者だけを愛し、己に逆らう者はこれを排除する。
 正しい政はそうではなく、信賞必罰の基準を明確にし、除くところの基準も明らかにしなければ、賢良の民は減り、人の心は国から離れ、国は危機存亡にみまわれます。
 君の不明な政で、有司の臣はあえて意見を述べる事をせず、よって国が傾くなら、先祖の宗廟も傾く事になるでしょう。」


景公曰く、
「私が不明であった。目が覚めた思いで、晏子の言に従おう。」

<本文解説>から
愛と憎しみの情を公平にすることは、万事の枢要であり、また難事である。景公は自分の行った賞罰を正しいと思う。しかい、媚、へつらう臣と正直の士を見分ける事が出来ずに、賞罰を行おうとする。思うままに振るまう、独裁者の陥りやすい常を、晏子は景公の心の欠陥を明らかにし、そしてその欠陥が国政に及ぼす害悪を指摘する。


國内〇之禄 所収者三也
(この最後の一句は脱誤があるらしく、意味がよくとれない。強いて、解訳市内でおく9
「新装版 中国古典新書 晏子春秋    山田 琢著」


(笑)景公は晏子にとても素直な人であったらしい、晏子が諫めるとすぐに反省したらしいが、それはそれですぐにわすれてしまう。よって晏子は生涯をかけて、社稷の臣として、景公を諫め、導いて行く事になるらしい。
見て来たような話ですが悪しからず、定説。