日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

つぶやき、独り言❓【自分大好き人間】の好きな生き方、

「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第十五

「景公、霊山河伯を祠つて雨を祷らんと欲す、晏子諫む」
 (神霊の住む山や、川の神を祭って雨ごいをする)


【景公を諫めて、徒らに雨乞いをするよりも、心身を正すべきことを述ぶ】


斉は日照りが続いて旱魃となった。
景公は群臣を集めて問うて曰く、
「しばらく雨が降っていない、飢饉になる恐れもあって、国民が難渋しそうだ。卜人に占わせてみると、山の神や水の神の祟りだと言う。人民に、祭祠の費用を少し割り当てて徴収し、霊山を祀ろうと思う、どうかな?」


群臣、答えられず、晏子進み出て曰く、
「駄目です。祀っても益はありません。霊山は固い石を以って身となし、草木を以って髪としています。久しく雨が降らなければ、髪はまさに焦げそうで、身はまさに熱しています。
霊山とても、雨を待ち望んでいるのに、これを祀っても益があるわけがありません。」


景公曰く、
「なら、私は河の神を祭りたい、これならどうか?」
晏子曰く、
「駄目です。河の神は水をもって国となし、魚とスッポンでもって国民としています。雨が久しく降らなければ、泉は枯れて、百川も干上がり、国はまさに亡びることになります。
君が雨を降らせたいと思って河の神を祀ったとしても、何の益もありません。」
景公曰く、
「ならば、今はどうしたらよいだろうか?」
晏子曰く、
「君が宮殿をさけて野に宿し、霊山河伯と憂いを共にすれは、それを幸いにして雨が降るかもしれません。」


 景公は野に出て露宿すること三日、空から沢山の雨が降り、国民は作物の植え付けや、種まきが出来た。
景公曰く、
「よかった、よかった。晏子の言うことは有用で、恩恵に富むものだ。」

↑のどかだな、高知桂浜


本文の解説より
(晏子の言うことは、風刺に富んで面白い。景公も苦笑せざるえなかったであろう。なお、晏子が景公に、野に宿り霊山河伯と憂いをともにするならば、或いは雨が降るかもしれないと進言し、景公がその言にしたがったら大雨が降ったのはもちろん偶然であったろう。
ただ、晏子が晏子が、景公にまず身と心を正すべきことを進言した真意を読み取るべきだろう。)


 ずっとこれをやってると、景公はまるで子供? 宮廷の中での暮らししか知らない訳ではないだろうに、斉は先代の国主、先々代と紛争後、その地位についているし、崔氏の乱や、国氏や高氏の国政の主導権を巡る争いが絶えなかったのにだ、国主の人間的、人格的成長がないと、それを補佐する晏嬰は苦労したろうな(笑)
↑私評


病気療養中に、もう一度勉強をし直そうとやってます。