日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第十九

「景公、寒途に遊び、死屍を憂えず、晏子諫む」
(死屍の屍の字は日本語にない。本来はこの一字で死骸の事、肉の付いている骨を意味す      る。憂えずも字が異なるが意味が同じなので憂えるとした。)


【景公が民の餓死を憐れまないことを戒む】


 景公、公宮から寒途に出遊して、死骸の打ち続く窮状を見ても、憂色もない様子。
晏子、諫めて曰く、
「昔、わが先君桓公が遊覧に出かけ、飢える者をみれば食糧を与え、病める者をみれば、これに金財を与えました。民に指図して使う場合にも、民を不必要に疲労させないように致しました。税金を取り立てるにも民に気を使いました。
 先君が出遊、遊覧しようとすると、桓公は困窮者を救ってくれるので皆は喜んで、我が村に来て欲しいと願ったものです。いま君は寒途に出遊して、四十里に及ぶ寒途の民をもってしても、君の徴収には応じきれない有様で、夫役にも答えられないほど困窮しています。
国民は酷く飢え、寒さを凌げず凍え、その死骸が道路に並び続いているのが現状です。
然るに君は何も問わず、君主としての道を失い、なお人民はその財も尽きていろのに、人民は国を頼る事が出来ず、それでも君は驕り、贅沢をやめない。上役は部下を大切にせず、それぞれ上下の心が離れ、君と家臣も心は離れてしまっています。
 これ三代、夏、殷、周の滅び、衰えた原因で、今、君はその道を進んでいます。
嬰(自分のこと)は皇族が信頼をなくし、他氏が国権を握ることがないかと愁いている次第です。


景公曰く、
「晏子の言うとおりだ、君主とし臣下を忘れ、国主として民を忘れていた。私の罪は重大だ。道路の死体を埋葬し、国民には蔵を開いて穀物を配給しよう。
四十里に拠る民には夫役を一年間、免除した。そして景公は三か月、出遊をとりやめた。


 晏嬰が懸念するように、田斉の時代がすぐそこに来ていて、田氏に国権が簒奪されることになっても、国民からは不平の声は上がらず、反乱すら起きなかった。
 田氏は魯からの亡命貴族で、陳氏。斉に食邑を貰い、何世代にもわたって民を懐柔した。
田氏の名はその采地の邑の名、晏子が国政に参加しているころから、陳氏の食邑では他の邑より年貢が安く、物価も安定して、生活がしやすいと定評があった。
 また不作の年には邑民に穀物を貸出、貸すときは大きな桝で、回収するときはそれより僅かでも小さな桝で集めた。こうした噂が広まって、陳氏の食邑の移住希望者が後を絶たなかった。