日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第二十一

「景公、螢惑、虚を守って去らざるを異しむ、晏子諫む」
(螢惑=元の字は中の虫の字が火になっている。読みはケイワク。災禍や兵乱などの前兆を示すとされる星の名)


【星宿の変によって景公を諫めて、悪政を改めさせたことを記す】


(虚=斉国の分野の名称。分野とは、古代中国で全土を二十八の区分に分け、その区分に応じて各地を司る宿星が決められた。その天の区分を分野と言う。)


 景公の時、螢惑が斉の虚に留まって一年も去らない。
景公、このことをいぶかり怪しんで、晏子を召し出して問うて曰く、
「私が聞き及ぶには、善をよく行う者には天は褒めてくれ、不善を行う者には禍をもたらすと。螢惑は斉の虚にずっと留まっているのは天罰か、誰がこの天罰を受けるのか?」
晏子、曰く、
「斉ではないかもしれません」
景公、晏子の言を認めずよって曰く、
「天下の大国の十二諸侯ある内で、斉の虚に螢惑ある、斉に災いが来ることはないのか?」
晏子曰く、
「虚は斉の分野で、そこに螢惑が在っても、天が罰を下すのは、富強をたのんで悪事を行うものに対してです。善行いを勧めても行われず、政令を発しても道理や現実にそぐわず、進言する賢者を遠ざけ,媚びへつらう者だけがいい思いをする有様。国民は景公を恨み、自分たちでこぞって吉祥の前兆が現れる事を願って祈っています。
 人民は自ら死地に赴くも、悲しむ事をしりません。空の星の運航が乱れ、彗星が出現し、不詳の星である螢惑がめぐり合わさり、かつ妖星が斉の分野に在ったとしてもです。
 賢者を用い、正しい考えによって政を行えば、国は亡びることはありません。」


景公曰く、
「引退した方がいいいいかな?」
晏子、答えて曰く、
「自ら招くことの出来る者は、またこれを去ることもできますよ。今はその時期ではないでしょう。引退はいつでもできます。」
景公曰く、
「私は今、何をすればいいのかな。」
晏子、答えて曰く、
「多くの民が無実の罪で獄に繋がれています。彼らを放免して耕作に従事させ、百官の財産集め、これで民に施しをする。みなしごや、やもめ、老人を敬う。こうすれば百悪は去るでしょう。
景公、曰く、
「よし!やろう。」
善行すること三月、螢惑は還って行った。


天体、星の異変と人事が関連して行われている時代に在って、それを戒める晏子の議論は絶えず、現実的である。
また、本章にある「賢を任じ」「民にほどこし」「孤児、やもめを賑わし」「老を敬す」は長く儒教の政治目標とされたもの。
 本性をより平たく、読み易くしている為、解説を引用した私的部分に示される語句が本文と一致しないことがあります。
 
難しい、古代の天体に対するとらえ方とか・・不明なんで、勉強が足りん。