日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第二十二

「景公、将に宋を伐たんとし、二大夫立つて怒るを夢む、晏子諫む」


【晏子が景公の夢を判断し、宋国を伐つべきでないと戒む】


 景公が宋(他の国)を攻めようと兵を出し、軍隊が泰山(斉にある山の名)を過ぎようとした時、景公の夢枕に二人の男が現れて、すごぶる激怒している様子だった。景公は恐れおののいて目を覚ました。
 景公は宮城内に占夢者を招いて曰く、
「今朝がたの夢で、二人の男が現れて激怒しているではないか。何を言いたいのかよく解らないが、その怒りはとても激しいのだ。私はその理由を知りたい。」
占夢者曰く、
「軍は泰山を過ぎてしまって、泰山の神を祭らなかったので、泰山の神が怒っているのです。願わくは速やかに神官を派遣して泰山を祀り、祈祷すればよろしいのです。」
景公曰く、
「わかった、そうする。」


翌日、晏子は朝議の席で景公に会い尋ねた、
「夢の事はいかがなりましたか?」
景公曰く、
「占夢者の言うには、軍が泰山を通る時に神を祭らなかったので、泰山の神が激怒した
のだと。今、神官を派遣して、泰山の神を祭るところだ。」
晏子、しばらく首を垂れ、考え事をしていたが、ややあって曰く、
「占夢者は知らなさ過ぎる、これは泰山の神の仕業ではありません。これは君が宋を討とうとしている事に、宋の先君湯王(とうおう)と宋の名宰相伊尹(いいん)が怒っているのです。」(この二人は殷王朝の創始者で、宋の国はその末裔の国)
景公、
「いや、泰山の神だ。」
晏子曰く、
「君が私の言う事を疑うなら、聞いてください。湯王は長身で色白です、面長の顔に豊かな髭を蓄え、少し猫背で大きな声の人です。」
景公曰く、
「そうだ、夢の一人はそうだった。」
晏子、続けて曰く、
「伊尹は色黒で、背が低い、髪は整えずざんばらで髭があり、顎が長く、声の低い人です。」
景公曰く、
「そうだ、その通りだ。なら、どうしたらよいものか?」
晏子曰く、
「宋の国の前、昔の殷の王朝には湯、太甲、武丁、祖乙(殷王朝を繁栄させた四人の天子)など立派に国を治めた君主がいましたが、後々の時代になって周によって滅ぼされるに至りました。それでも立派な天子を輩出した殷の後裔である宋の国を敬うべきなのに、それをしません。それどころか宋を討つ事になっています。これでは湯王と伊尹は激怒して当たり前です。軍を解散して、宋と和睦するべきです。」


景公、晏子の意見を採用せずに宋を討つ。
晏子曰く、
「無実の国を攻撃して、湯王,伊尹の神霊を怒らせて、宋への攻撃をやめて和睦しようとはせず、さらに軍を進めている。もう、私(晏嬰)の知る所ではありません。このまま軍を進めれば必ず損害がでます。」


 晏子の意見はとりいれられず、軍は二舎、二日の行程を進んだ。(約60㌔)太鼓が破れ、大将が戦死するという負け戦で終わった。


 景公、すぐに晏嬰に謝り、軍を解散して宋を攻撃することをやめた。


 解説の面白い記述に、湯王と伊尹の容貌と声について、本文の記述が具体的なので、そうした言い伝えがあったのだろうか・・・ほんと、あったの?
教えてほしい、史記かな?


 湯王が中原を平定し殷王朝を樹立したとき,伊尹は湯王の軍師であり、作戦参謀だった。
桑の木から生まれた?もと身分の低い調理人。これ伝説?


 斉の国はもともと太公望が立てた国で、晏子春秋の中では、夏、殷の国の興亡についての晏子の引用はあるが、太公望の話はでてこないな・・