日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

つぶやき、独り言❓【自分大好き人間】の好きな生き方、

「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第一

 「景公、籍重くし、獄多し、晏子に託せんと欲す、晏子諫む」


【租税を重くし、刑罰を厳にする政治の非を戒む】


 景公は人民に重税を課し、命に従わない者を厳罰にする政策をとったので、逮捕者が獄舎に溢れ、恨みを持つ者が朝廷に国中にも満ちた。晏子が、景公を諫めても、景公は聞かず、さらに晏子に任せようとして、景公曰く、
「徴税と訴訟手続がやたら煩雑になった、そこでだ、事務のこと裁判の事は晏子に任せたい。」
晏子、答えて曰く、
「君は私にこうなった事務を、整理しろと言うことですか? ただ事務処理なら字の上手な一人の女子で充分でしょう。
 私に人民の心を改めさせようとしますか? しかし、誰も自分の家の生活を壊して、暴君の邪心に奉仕しようとする人民はいません。君が軒並みすべて、裁判の文書を焼いてしまえば、国民は大いに喜んでくれますよ。」
景公、不満顔で晏子をなじって曰く、
「事務は女性に任せ、裁判文書を燃やせば、国はよく治められるのか? そんな馬鹿な話があるか!」
晏子曰く、
「私が聞き及ぶこととは、公と違っています。いま、未開民族は犬をたくさん飼育して、多いところでは十有余、少ない所で五・六匹、しかし狗は互いに傷つけあったりしません。しかし、鳥や豚の肉をこれらの狗の中に投げ入れると、犬は肉を奪い合って互いに傷付けあいます。
 正しく治める為には、人民の身分や地位を明確すること、そうすれば狗と違って貴賤が入混じりしのぎ合う事はないでしょう。
 今、君が高い俸禄と爵位をみだりに臣下に与えるので、臣下がこれを相争うことは、犬が鳥豚肉を奪い合うよりひどい有様です。
 公は知りませんか? 一寸の管でも底がなければ、天下の穀物を以てしても満たすことはできないと。
 今、斉国では男は田畑をひたすら耕し、女は夜鍋してひたすら織物をしても、税を納めるには足りないありさまです。景公の側近たちは人民から取り立てた租税や物資で贅沢な暮らしをしていることは、底のない管と同じです。 君はこのことを解っていません。
 子供が一寸ほどの小さな火を持つならば、天下の薪を燃やしても足りません。今、君の左右の近臣は人民から租税を取り立ててなお、足りないとするのは、一寸の火を手に取る者と同じです。
 楽器を連ねて賑やかに演奏させ、盾と斧を持って舞う人民を、古代の賢役を尊んだ聖王とて禁止する事は出来ません。一方で人民の欲望を駆り立て、他方ではこれを厳禁する、これは無理な話です。人民の生活を圧迫し、刑罰を厳しくする政治では国は巧く治まりません。


まあ、私の知ったことじゃない!」

↑昭和の一コマ、好き。物は豊かでなくても心は貧しくなかった㋤


 晏子が景公を拒絶しているのは、晏子が景公の悪政に対しての反省を促す為と言えるかな。晏子は諦めない人でもあった。
 しかし、この時代にあっては晏子春秋の凡愚なイメージの景公は特別でなく、極めて普通だったかも。貴族、皇室に生まれその生活、民を虐げて生活する支配階級そのもので、国にある各邑は貴族による独立したそれぞれの国とおなじであり、国法すら通用しないこともあった。殺生与奪権も邑主が持っていた。


いかん、うまく組み立てれていない。意味不明の部分が・・