日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

つぶやき、独り言❓【自分大好き人間】の好きな生き方、

「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第十六

「景公長く国を有つ楽を貪る、晏子諫む」


【景公が国を保つ楽しみにふけるを戒めて、善政ににつとむべきことを説く】


景公、川のほとりでのんびりと遊覧していると、晏子が静かに立ち上がった。
景公、のどかにあくびして曰く、
「嗚呼、国を長く保って子孫に伝えることは、楽で退屈なものだな。」
晏子、答えて曰く、
「私は聞いています。名君は無意識にその地位にあるのではなく、国民の心を以って、我が心となしていました。いま君は政をもって国を乱し、行いを以って国民を長く顧みない。それなのに国を保とうとしても、難しい事です。
私はこう、聞いています。政をして、長く国を保つ者は善事を成し遂げる者です。諸侯が並び立つ中で、善事を成し遂げる者が長となり、多くのすぐれた人物がそれを学び、善事を成し遂げる者が師となります。
昔、諸侯に覇を唱えた斉の先君、桓公は四方から賢者を任用し、有徳者を引き立てました。また、滅亡した国を興し、危うき国を援助しました。国民はその政治に安心し、他国はその徳の高さを褒めました。遠くまで遠征し、暴虐な国を征伐しましたが、そのために使役された人々は、その労苦を厭いませんでした。桓公の軍は正義の軍であったからです。
 また、国内の諸侯を天子のもとに参朝させましたが、諸侯は恨みませんでした。それは尊王の道にかなっていたからです。盛徳の君主の行いとても、これ以上ではありませんでした。
 しかし桓公は晩年、徳を怠って,快楽に溺れ、そばに美妾をはべらせ、政は桓公の近くに仕える小役人が図る有様。これでは国民はその政に苦しみ、世はその行いを誹謗しました。
ゆえに、桓公は亡くなると、胡宮に安置されましたが、すぐに内乱がおこり、葬儀は行われず、屍は虫が湧くまで放置されることとなりました。
 夏を滅亡させた桀王も、殷を滅亡させた紂王も、暴君でしたが、ここまで悲惨な死後ではありませんでした。
詩経にあるように「始めはよくとも、終わりが良くすることは困難。」善意を成し遂げることの出来ない者は、君たる位を全うすることは出来ない。
 今、君は国民に接しては仇のごとく、善を見ては熱いものを遠ざけるように嫌がり、政が乱れ、賢者は離れようとしています。世論に逆らい、欲望を欲しいままにして、また家臣を虐げ、無実でも罰してしまう事があります。これでは禍が景公の身に及ぶことが当たり前です。
 私、嬰は年老いたので、もう君に長くお仕えすることができません。君が行いを改める事ができなければ、引退して身を終える覚悟です。」


 痛烈で面白い!晏子春秋の全編の命題はこの一偏にあるかな。
桓公は管仲の臨終に際してその遺言を聞いていながら、それを守らなかった。管仲があっての桓公と言えるかな。
 晏子あっての景公なんだろう。桓子も晏子も歴史上の名宰相であり、当然、斉の国に於いてすぐれた執政者であった。