日暮れて途遠し、それでも㋧どこまでも、いつまでも、山谷越え・・・

つぶやき、独り言❓【自分大好き人間】の好きな生き方、

「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第十四

「景公、楚巫をして五帝を致して、以て徳を明らかにせしめんと欲す、晏子諫む」
 ↑(景公、楚の巫女を使い、五方の帝を祭壇にまつる事により、己の徳をあらわしたいと願う)


【景公を諫めて、巫の言にたよるより、徳行につとむべきことを述ぶ】


楚の国の巫女、名前は微というものが、斉の臣、裔款(人名、えいかん)を頼って伝手として、景公に目通りした。近習すること三日、景公はこの巫女の言葉に喜び、巫女の言葉に惑わされて、悦にはいる。


巫女曰く、
「公は知の明らかなる神を主宰する人です、また五帝の統治者でもあります。公位に就いて十有七年。景公が未だ大成しえないのは、神明、五帝がまだ降下していないからで、五帝をお祭りして、神降ろしを致してみましょう。」
景公は、再拝、丁寧に礼をする。(再拝稽首・さいはいけいしゅ)
巫女、曰く、
「いいでしょう、国の郊外を巡り、五帝の位置を見てみます。」
牛山(斉の国都の南に位置する山)に至って、あえて登らずとも、
巫女曰く、
「五帝の位置は国の南にあり、物忌したあとにぜひ、登って頂きたい。」
景公、百官に命じて物忌する為の道具を運ばせ、裔款がこれを管理しすすめた。


晏子、これを聞いて公に会い曰く、
「巫女に従って、牛山に出向き、お祭りをおこないますか?」
景公、曰く、
「然り!五帝を祭って私の徳を明らかにすれば、神は私に福を下さる、それをすることに何かあるか?」
晏子、答えて曰く、
「君はやりすぎ言い過ぎです。古の王は多くの徳を人々に示し、世を安らかにし、もって国民を導き国を安定させました。諸侯はこれを戴いて兄に仕えるように敬い、国民は父母に仕えるように致しました。それ故、天地はいつも温和で荒れることがなく、天体は星や月日の運航に乱れがなく、よって政治がよく行われ、天界自然の現象も順調でありました。
 ならば景公の徳行が立派に行われ、天と並ぶ季節の巡りのごとく広大無辺であるならば、然るのち、君の前に五帝は現れ、神明は降下するはずです。
 古は徳行を疎かにせず、祭りごとを頻繁に行わず、巫女にたよって頭を下げるようなことなどはありませんでいた。
 今、政は乱れて行いがかたより、それでいて五帝の徳がわが身に降らんことを求めても、人民は敬いもせず、また幸もおりてくることなどありません。君が五帝の徳を求めても、無理なのです。君の言う、女巫女の言によって神降ろしおするなどという動機は低級甚だしい事で、惑わされてはなりません。


景公、臣、裔款にむかって曰く、
「こころみに巫女をもう一度みて、考えてみよ。私は巫女のいうことを信じ、行なってしまったでわないか。裔款を捕らえ、巫女を追放しろ!」


晏子曰く、
「楚の巫女を追放にしてはいけません。」
景公曰く、
「どうしてだ?」
晏子、答えて曰く、
「楚の巫女を追放すると、外国でこれを引き取る諸侯があるかもしれません。諸侯を巫女の言により迷わすことは、諸侯をあなどることであり、不仁の行いになります。巫女は国の東辺に移して諸侯との交わりを断たせ、裔款は拘束してください。」

↑野菜の炊き合わせ


(晏子は景公を諫めて、神頼みよりもまず、君主として徳をを積むことを力説している。晏子の物の考え方が、この時代にあっては、実際的、現実的。神の存在は否定しないが、神よりも人間重視をしているといえる。)